劇団ひとりの概要
劇団ひとりの概要
父親の仕事がパイロットだった関係で、小学校2年から5年まで、
米国アラスカ州アンカレッジに住んでいた帰国子女。
当時、同じように父親がパイロットだったフィギュアスケートの
村主章枝が近所に住んでいたため一緒に遊んだことがある。
ただし現在の英会話能力は、日常会話程度であると自認している。
千葉市立幕張本郷中学校卒業後、金剛学園高等専修学校(現・桜林高等学校)に
入学後数週間で中退、同年に編入扱いで千葉県立京葉工業高等学校(機械科)に
入学するが(理由は「学ランを着たかったから。」らしい)1年弱で中退後
千葉県立船橋高等学校定時制普通科卒業。
高校生活は計5年間になる。当時はヤンキーで、番組でヤンキー時代の写真が公開された。
高校1年の1992年に、『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』内のコーナー
「お笑い甲子園」に、バーテックスというコンビを組んで出場。
その後太田プロダクション(以下、太田プロ)に所属しデビュー。
なお、単独での契約だったが、これはバーテックスで相方を務めた男性に
プロ入りの意思がなかったことによる。
太田プロに入ってからは、一時代子役として活躍した経歴のある
劇団日本児童出身の秋永和彦とお笑いコンビ「スープレックス」を組み漫才を展開。
当時より川島の才能や完成度は、コアなファンやお笑いライターに評価されていたが、
ボキャ天ブームや『進め!電波少年』で、太田プロがU-turnや猿岩石などのグループを
メインに売り出していたことや、川島自身の遅刻・ドタキャン癖が影響し、
『爆笑オンエアバトル』などには出場していたものの、ブレイクの機会を逸したまま
2000年5月に秋永の蒸発を理由にコンビを解散、
川島はピン芸人として再出発することとなった。
ピン芸人になるにあたり芸名をネット掲示板で募り、
そこに書き込まれた「カツカレー」を名乗ったことがある。
しかし事務所に「カツ」という芸名の人物がいたために反対され、
この芸名を使ったのは1週間ほどであった。
様々なキャラクターを演じ分ける一人芝居風のコント(後述)が評判になり、
お笑いライブや『新しい波8』『完売劇場』などのテレビ番組で徐々に知名度が上がる。
2004年2月、「笑わず嫌い王決定戦」に出演。以降、メディアでの露出が次第に増える。
また、俳優として、テレビドラマや映画などに活躍の場を広げる。
2006年1月、小説『陰日向に咲く』で小説家デビュー。
(2008年新春、V6の岡田准一主演で映画化予定。)
2006年11月13日、“最も万年筆が似合う著名人”に贈られる
「万年筆ベストコーディネート賞2006」を受賞。
同賞は、輸入・国産筆記具メーカーや日本筆記具工業会など28社(協会)が
共同で行っているプロジェクト。